米朝ばなし・上方落語地図巡りの 114.P の四ツ橋です。
これは落語ばかりではなく、個人的にお気に入りの 高田郁「澪つくし料理帳」にも登場します。
まあ、「澪つくし料理帳」には以前紹介した東横堀も出てきますし、次の新町も出てきます。
本の中と現在では石碑の配置が異なっています。
もちろん、電気科学館も今はありません。
上繋橋、下繋橋、炭屋橋、吉野屋橋の四つの橋があったそうです。
小西来山の「涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり」という句碑もあります。
そこから西へ行くと新町。
江戸の吉原、今日の島原、大阪の新町という三大遊郭のひとつ。
米朝ばなし・上方落語地図巡りでは、堂島に続いて二番目に掲載されています。(16.P)
加賀の千代女の句碑があるという料亭「勇」も今は無くなって音楽関係の専門学校になっているようです。
新町検番も新町花街の看板も見当たりません。
数少ない当時の雰囲気を残す建物がこんな感じです。
今ではおしゃれなカフェや雑貨屋さんが立ち並ぶ町並みという感覚の方が知られていますよね。
新町というよりは北堀江というほうが判り易いのでしょう。
そこから、ひたすら西へ。
途中で気になった場所がこちら。
なんと、土佐稲荷でした。
大阪の稲荷社巡りでは欠かす事の出来ない場所です。
土佐藩の藩邸がこの辺りにあった関係で土佐の稲荷となったそうです。
三菱財閥の岩崎弥太郎も此処に関係があるんだとか。
想像していたより立派な稲荷社でした。