土佐稲荷を後にして西へ。
松島公園を尻目に殺して竹林寺へ。
「油屋与兵衛」という落語から芝居にもなった噺があるそうです。
その芝居の序幕に竹林寺がちらっと出てくると米朝ばなしにあります。
朝鮮通信使のお墓があるのだとか。
同じ名前の竹林寺さんが千日前にもあるそうですね。
そこからちょっと行って京セラドーム大阪が見えてくるあたりに茨住吉神社があります。
「油屋与兵衛」にも出てきますが、私的には「三年酒」のほうが記憶にあります。
北安治川二丁目の播磨屋又七、又の名を神道又が(又ばっかりですが)池田の叔父の所で酒を飲んで帰って来て、ころっと死んでしまう。
「何か遺言無かったか?」
「そういうと、このところ茨住吉さんの田中左弁太夫という人の神道講釈を聞きに行って・・・」
うんぬんというくだりがあります。
戦前は夏祭りの荒っぽさで知られ浪花の三大祭りの一つに数えられていたそうです。
九条駅まで足を伸ばして商店街をチラ見してから松島新地へUターン。
「近江八景」という噺に登場します。
他にも「たぬき茶屋」や「馬子茶屋」という噺にも出てくるそうですが、もともとはここが舞台では無かったらしいですね。
なにしろ、此処は明治元年に遊郭が設置されたそうなので、江戸時代にはそういう遊び場は無かったのですよね。
昭和初年には松島の娼妓は4000人にものぼり、東の吉原と二分するほど有名だったそうです。
昼はこんな感じですが、夜はまた違う風景になるんでしょうね。
ちょっと見てみたいような、ちょっと恐いような。
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